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今日は秋季リーグ第二戦があった。 相手は京都工繊大学。 1-0で見事今期初勝利! いやーマジでうれしかった。 そして今期は早くも.000の呪縛から解き放たれてうれしかった。 第一戦は3の0だったのにまた使ってくれたキャプテンに感謝です。 #
by yasshy-0924
| 2005-08-31 23:31
| 日常生活
最近はもうすぐ就活ということで将来のことについてよく考える。 考えられる(可能性のある)選択肢は大きくわけて三つある。 ①一般企業に就職 この可能性が圧倒的に高いだろう。 ②英語教師 やってみたいと気持ちは一番強い。 しかし周囲からは疑問の声が・・・ ③家業をつぐ この可能性は0に近い。 僕の家は印刷屋をやっている。 家が自営業っていう人はどれくらいいるんだろう。 同好会ではI田商店が有名だけど、 たぶんもっといるんじゃないかなって思う。 最近思うのはそろそろ父と将来会社をどうするのか話さなきゃいけないなぁって。 はっきり言ってそういう話は全くしたことはない。 僕につぐ意志がないことは暗黙の了解って感じになっている。 第一僕は会社のことを全く知らない。 たまに小耳にはさむくらいで、 システムとかどんくらい利益をあげてるのか従業員は何人いるのかとか 全然知らない。 いや会社自体は僕の自宅の下にあるんですよ。 一階と二階半分が会社で、二階半分と三階が自宅。 でも入り口が違うので、全く会社のほうには僕はノータッチなので。 絶対印刷屋なんかにはならないって中学生のころから思ってたけど、 最近はやっぱ父の代で終わらせるのはもったいないかぁって思ったりもする。 うちの印刷屋は1923年、関東大震災の年に創業して、 2003年には創業80周年を迎えた。 という歴史の重みもある。 父の代で終わるとしたらおそらく10人前後いる従業員はどうなるんだろうとも思う。 銀行から借りているお金はどうすんだろう。 この前○千万の機械を買ったぞーって言ってたけど、 そのお金は誰が返すの?父の代までに返せるのだろうか。 まずないけど、 ひょっとして父は僕がつぐことを前提にして経営してるんかなぁってちょっと不安になったりもする。 いずれにしよ近いうちに話さないとなぁ。 弟がついでくれるんだったら一番いいんだけど。 #
by yasshy-0924
| 2005-08-31 01:53
| ふと思うこと
三日目・四日目・五日目 ただひたすら暇なだけ。 当然、左腕のひじから下がギブスな以外はいたって健康なので、 ベットで寝てるのもだるく、 病院内をさまよったり、 外を散歩したりしてたかなぁ。 夕方になると数人の友達が見舞いに来てくれるのでそれが唯一の楽しみでした。 僕の入院いていた病院は、 中川区のかなり田舎のとこにある病院で、 交通の便もかなり悪かったのに、 みんなきてくれてマジうれしかったなぁ。 高2高3とクラス一緒で野球部のエースのA野君なんか、 家が近いからと毎日来てくれた。 あとこの頃は「Youthful Days」が発売してすぐだったので、 ひたすら聴いてたなぁ。 だからあの曲を聴くと病院思い出して切ない気持ちになる。 消灯後に携帯でメール打ってたら見回りにきた看護婦さんにマジ怒られされたこともあったなぁ。 ほらなんか電磁波の問題とかあるからねぇ。 というわけで無事退院して、 二週間後に内部にいれてあった針金を抜いて、 (これがまたマジで痛かった) いよいよリハビリ開始。 最初の頃はリハビリ室に通ってやり方を教えてもらう。 最初はやっぱり全く動かない。 きつかったなぁ。 動かないものを動かそうと思うことはほんと辛かった。 でも意外とけっこうすぐ動くようになった。、 やっぱ元通りとまではいかなかったけど。 そんであとはどくたーすとっぷが解けるのを待つのみ。 その間はチーム練習ができないから、 みんな体育館で練習してる間、 一人で外を走ったり、 嫌いな筋トレをしたりする孤独な日々。 復帰したころにはもう高校生になって二回目の冬も終わりを迎えていた。 なんでこんな小指一本のために・・・ ってよく思った。 いろいろ辛い思いをしたなぁ。 痛いとかいうよりやっぱバスケできないのが一番辛かった。 まぁ貴重な体験もしたけど。 ケガにはほんとに気をつけようね。 同好会の事務員さん。 #
by yasshy-0924
| 2005-08-30 12:16
| さらけだす過去
一日目 手術は明日なのに今日なんかやることあんのかなぁと思ってたけど、 部屋に案内されて一息ついたら即刻始まりました。 わき毛剃り。 さっそく緊張の場面が訪れた。 なんせわき毛なんて剃ったことなかったからなぁ。 しかもかわいい看護婦だったのでなおさら緊張しました。 あとあと気づいたけどおそらくあの看護婦が一番かわいい人やった。 それを考えて担当者決めてたとしたら、 かなりサービスの充実した病院やったな。 きもいこと書いてしまった。 二日目 ついにきた手術の日。 不安と緊張でもうやばかったですわ。 まず部屋で筋肉注射。 これがマジで痛い。 ほんとにやばい。 世の中にこんな痛い注射があんのかなっていうぐらい痛かった。 結局痛みというか違和感はかなり長い間残ったなぁ。 そしてベットに寝たまま手術室へ運ばれる。 ドラマでしか見たことがないような光景。 音楽が流れてるってのは本当でラジオ番組が流れている。 心拍数を計るピポッ、ピポッってやつ(なんていうんだっけ?)に繋がれて、 いよいよ麻酔。 しかし緊張のあまりなかなか心拍数が下がらずたぶん5分ぐらい、 うつまでにかかっていた。 その間「だいじょぶだから落ち着いて」みたいなことをずっと言われていた。 なんか情けない。 今回は左わきにうつらしい。 だからわき毛そったんだけど。 一本うって、 ずしん すげー重い漬物石が乗った感じ。 小指、薬指あたりに繋がる神経にうったのがわかる。 全部で3本うったのかな。 次に中指、最後にひとさし指、親指が動かなくなって、 左腕がまったくなくなった感じにおちいった。 そして手術が始まった。 覚えているのはここらへんまで。 目を覚ますともう終盤で、 縫合が終わって無事終了。 あーやっぱ痛くないじゃん麻酔以外は。 部屋に運ばれると母さんと友達数人がいてくれた。 麻酔が切れてくると痛みだすから、 絶対に動かすなという医者の忠告を無視して、 何も感じないことをいいことに、 あー全然だいじょぶだったてーと動かしまくってたのが不幸の始まりだった。 夕方頃になると徐々に痛みだして激痛に変わるまではそれほど時間がかからなかった。 もうすぐ薬剤師の人が薬を持ってきてくれることになっていたけど、 この痛みに耐え切れずナース室へ。 「あのーマジで痛いんですけど。やばいです。助けてください。」 みたいなことを言ったが、 「動かすなって言われたでしょ。ふつうはそんなに痛がりませんよ。どんなけ動かしたんですか。」 と助けを求めにいったはずが逆に若干説教されて、 しぶしぶ部屋に戻りこの痛みと戦うことに。 でもやっぱ耐えれなくてもう一回行ったら、 「我慢しなさいもうすぐ来ますから」と普通にあしらわれた。 意外と冷たいな。 やっと薬剤師の人がきて痛み止め飲んだらなんとか平常に戻った。 あれはマジでつらかったなぁ。 こうして二日目は終了した。 続く #
by yasshy-0924
| 2005-08-30 02:01
| さらけだす過去
最近なんか投稿が適当になってる気がするので、 今日は久々に大作に挑もうと思います。 あっあのこと書きたいな。ってふと思うことはたくさんあるんだけど、 いざ書こうとするとめんどくさくなっちゃって結局書かないってことがよくあってね。 今日はがんばろう。 今日はある貴重な体験について書こうと思います。 僕は大きなケガは特にしたことはなかった。 骨折も捻挫もしたことはなかったし、 例えば肩やひじが継続的に痛くなったこともない。 ただ僕が唯一大きなケガをしたのは高2のとき、 結局3ヶ月半バスケをすることはできなかった。 僕の母は看護婦で、 結婚してからは働かなくなったんだけど、 僕が中3ぐらいのころからまた近くの整形外科医院で働き出した。 別に家計が苦しくなったとかそういうわけじゃなくて、 僕ら兄弟ももう大きくなったしまた働いてみたいと思ったらしい。 だから僕は高校のころとかはどこか痛くなるとすぐ、 母さんの病院に行って、 先生に相談しにいっていた。 いつもは大抵たいしたケガじゃないんだけど、 居心地もいいし、 まぁ先生もいい人だったし、 受付嬢たちもかわいい人が多かったので、 よく行っていたのだ。 その日は確かひざとかが痛くなって行ったんだと思うんだけど、 なんで行くことになったのかはあんまりよく覚えてないんだけど、 そこでついでに最近よくツキ指してパンパンに腫れていた左手小指も見てもらった。 どうせバスケではよくあるツキ指だし 診てもらうまでもないかと思ったけど、 断続的に何回もやっていてもう右の二倍以上に腫れあがっていたので、 まぁついでに診てもらったのだ。 「先生最近よくツキ指するんですよねぇ」 と先生にみせてみたら、 「いやいやこっちのほうが全然やばいよ~。すぐレントゲンだねこれは。」 えっそうなんですか…。 ちょっとドキドキしながらレントゲン室へ。 やべぇ折れてんのかな。 ここで大きなケガは致命的だ。 なんせもう高2の秋。 総体予選は次の4月だ。 せっかく試合にもでれるようになったのに、 こんなときにバスケできなくなるのはかなり痛い。 「う~ん、やすおみ君、残念だけど靭帯切れてるよ。」 ( ´ _ゝ`)フーン・・・ Σ ゚ロ゚≡( ノ)ノ エェェ!? └(゚Д゚)┘オーマイガッ!!! (住友君のブログから拝借) 「手術だね。」 (|||ノ`□´)ノオオオォォォー!! (同) というわけで左小指の靭帯断裂ということで、 手術するこになってしまった。 当然そこは町医者なので手術などはできないので、 その先生の師であり、 日本の整形外科会では5本の指に入る名医を紹介してもらうことに。 ほんとかよ。と当時は思ったけどどうやら本当らしい。 ただその病院は家から遠いので、 家と学校の間にある名大病院がいいって僕は言ったんだけど、 「あそこはだめだ。」 (なぜ??) と一蹴され結局後日その先生のところに行った。 行ったその日に精密検査をして、 手術の日を決めてそれに合わせて入院することに。 何回も同じ箇所をツキ指していたので 開いてみないとわかんないけどたぶん切れた靭帯はボロボロになってて、 もう使えないかもしれないから、 その場合は手首の腱から移植するというややこしい話になった。 後日に心電図とか血液検査とかなんかいろいろと検査をして、 いよいよ入院の日がやってきた。 二日目に手術をして、 五日で退院できるということだ。 生まれて初めての手術ということで、 かなり緊張していた。 というか正直かなりびびってました。 続く・・・ #
by yasshy-0924
| 2005-08-29 00:46
| さらけだす過去
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